淡々と日々のあれこれ

薬膳とか仕事探しなど、日常のあれこれを書きとめておくブログ。アウトプットのリハビリ。初期はごく私的な日記です。

当たって砕けたけど

昨日5月25日、緊急事態宣言が全国で解除された。

東京や大阪などに緊急事態宣言が出されたのが4月7日、全国に拡大されたのが4月16日だったと記憶している。

もう3月の記憶も曖昧だけども、緊急事態発出以前から自粛要請は出ていたのだし、今回の宣言解除で「元どおり」になんてならない。それでも、何か動いていこうという雰囲気は出ていて、新型コロナウィルスありきの生活を探っていくためのスタート時期なのかなと思う。

 

個人的には今月中ごろから職探しを再開して、先週は当たって砕けた。ハローワークへ行って応募書類を作って送って面接を受けて・・・と動いたけど、なんというか準備運動みたいなものだった。久しぶりに書類を作り、PR文を考え、会社の情報を調べる。3月にしていたことを思い出す。それこそが目的で、結果はついて来ればいいけど、ついてこないのもわかっていたりした。書類の文面を整えたりするのは散歩や様々な現実逃避を交えつつ進めた。このブログの更新も18日にしていたなんて、すっかり忘れていたのだけれど、それがわかったおかげで週末から今日までの数日の無力感や何も進んでいないことの焦燥感が少し慰められた。
準備運動みたいなものと思っていたものの、結果が何も残らないとやはりがっかりはするものですね。我ながら、欲張りなものです。

 

話変わって。

今日は、アウトプットしていこうと不意に思った。
薬膳の先生はインプットとアウトプットを両方行うことが大事、と書いてらして、アウトプットが苦手な私は「そうは言われましても」と思ってそのブログを読んでいた。つまり、やる気に火がつかなかったのですが、「軌跡を残す」「記録を残す」という意味ではアウトプットするのはいいなーと自分なりのモチベーションを不意に得たのです。

全然更新せずに、不思議に続いているこのブログの更新がいよいよコンスタントになるのかどうか、私も楽しみですワ。

 

そういえば薬膳の講座を受けたのが、17日。
まだ10日も経っていない今のうちに復習もしなくちゃ。

部屋

おうち時間が長くなって、断捨離や片付けをしている人も多いようですね。
私もリモートで、ある講座を受講するというきっかけがあり、少し片付けが進みました。

今まで、もうずっと片付けなきゃと思って、少しやっては後退・・・少しやっては後退を繰り返してきたのですが、昨年あたりから色々な節目を感じているのもあり、超えられなかった壁を壊して前進できたような気がしています。
とはいえ、まだまだ床置きの物をしまうという段階で、中身の整理や選別はこれから。部屋を整理して、頭の中も整理して、より心地よい部屋にしたいなー。
そうすれば、ブログ更新頻度も上がるかも?

それを目指して(^^)
今週は、衣替えやるぞ〜

止まった時計

昔、薬師丸ひろ子の歌でタイトルような名前の曲がありました。

それを口ずさみながら、久しぶりのはてなブログを更新しています。

 

最近は部屋の片付けをしたり、この週末は衣替えにも手をつけようかという気候になってきています。片付けと並んでPCのアップデートもしている最中で、最近の写真はまだPCに入れておらず、写真は1年前のものです。改元されて1年。

令和がどんな時代になるか・・・と話題になったのが1年前。

まさかの時代だよね。

歴史やフィクションの中で伝染病が蔓延したと書かれていても、現代でそんなことが起きるなんて思ってもいなかったし、毎年冬にインフルエンザが流行るようなものかなという程度の認識だったと気付かされる。医療の進歩が安心を担保していたのだと気がつく。

一方で、新しいウィルスに対しては自分の心身の力をできるだけ良い状態にすることが大事だとも思う。できることというのは、それくらい。それくらいだけど、つい夜更かししたり無理したりしてしまうのが常です。常だったことを見直すのが、今の時間なのかもしれないね。

 

ブログ、続けていきたい。どうなるかな。

常を見直せるか、おいら。

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令和初日にいただいた御朱印

 

いつもの通院とランチと

今日はいつもの通院。
手術から丸一年あまり経ち、薬が効いているおかげもあってか、普通に過ごせている。
口内炎のできやすさと、たまの軽い頭痛は日常なので今はあまり気にならない。
前回の診察で、そのようなことを伝えていたので、今日の診察はなく薬だけを処方された。そろそろ街のクリニックに病院を変える時期かなと思った。

帰りはたいていランチして帰る。
今日は大久保駅北側の「しふぉん」という野菜のお店へ。

野菜の天ぷらを頂きました。
小鉢とメインとご飯、デザートと飲み物で1080円。
野菜はかぶら、玉ねぎ、じゃがいも、安納芋?など。
シンプルに塩で頂くと、野菜の甘みを感じられました。
通院後のランチは、ここか大戸屋の二択です。どちらも奇をてらうメニューはなく、日常と地続きのご飯という雰囲気です。

いない。

外出していると、普段通りのようなのだけど、

うちに帰ると、ミィがいない。

ただいまーと明るい声も出ない。

粗相をしてやしないかと、そろそろ歩いた廊下。
今は気にしなくてもいい。

お風呂上がりに台所をのぞくと、すぐそこに寝ていた。
寝てるのか、とか
こちらを見たなとか、
それだけだったのに、いないと、そういうのもなくて、ただただ寂しい。

亡くなる前の夜、
へたり込んでるそばに座布団をしていて、寝転び、ご飯を手に乗せて差し出してみたが、反応はなかった。
ダメかなと思い、お皿にエサを戻して少ししたら、すっと起き上がり、ガサッとエサに顔をつっこみ、ひとくち加えて、勢いのあるまま、少し先のいつもの場所へフラフラっと倒れ込んだ。
もうほんとにしんどかったのだ。

それなのに、座布団の上で向きを変えてるなと思ったら、おしっこをしていたようで、母が座布団を変えてやった。

その日の昼過ぎには、トイレに行かないミィを母が連れて行ってみると、ペットシートの上でしたらしい。

もう一回連れて行ってやればよかったと言う母。

私にもそういう後悔が湧いて来ている。

ネットを見たら、お水はスポイドで水をやる手もあったみたい。

いろいろ、思い出している。

それで、結局、寂しい。
ミィがいない。

火葬に。

うちのミィを、今日火葬に出しました。

うちでは夏のひんやりシートの上に保冷剤を置いて、ペットシートをかけて、その上に寝かし、タオルをかけてあげていました。

動物病院に相談し、聞いた火葬業者に、父が電話してくれ、近所のさんにつれていくことになりました。

お骨を入れる入れ物は、焼き代と別とのことなので、小ぶりの陶器の器とかわいい蓋つきの缶を持参しました。

小さな火葬台にのり、台が釜に押し込まれ、扉がしまり。

元気な時には嫌がってなかなか握らせてくれなかった肉球を、何度かにぎにぎして、気持ち良い毛並みを触って、、おうちでそういうことをしてから来たので、焼き場ではそっと見送りました。

いくら触っても尽きないし。

焼き時間は1時間半ほど。

お骨を拾って、帰宅しました。

骨は綺麗でした。

胃の中には食べ物もあったようで、焼き担当のおじさんが直前まで食べれたんですかとお話しされていました。

祖父の時、足に入れていたボルトが残っていました。

ミィは病気の痕らしきモノは、ないようだったとのこと。

帰宅し、2つあるうちの片方のトイレを片付けました。

しばらくは、ミィの痕跡をあちこちに見ることになるでしょう。

今朝方、沿っているとき、眠気のためか、何度かピクピクと動くような気がしました。

かたく冷たくなった体に触れても、まだ不意に動き出すかなと思ってしまいました。

小さな、プライドの高いふわふわの温かい生き物。16年間ありがとう。
十分に助けてあげられないことがあったと思う。苦しかったり痛かったり、痒かったりイライラしたり、大変だったけど、頑張ったね。
お疲れさま。

安らかに。

ミィ

今朝方、うちのミィが亡くなりました。

このあいだ
病院で抗生剤とむくみどめの注射をしてもらったのに、
その後もとてもしんどそうで、
寝るのも地面に突っ伏すようにして、息をお腹でして苦しそうでした。

トイレも行けず、その場で粗相をしたこともあり、
いよいよ弱っているとは思ったものの、
昨日はご飯も食べに行けず、
立ち上がっても休憩したままへたり、
ご飯に顔を突っ込んでも噛めないようすで、
口の中にできものが腫れて、
もうほんとに、苦しかったのだと思います。

五時頃。親が気づき、死後硬直が進んでいたので、みんなが眠った日付が変わって、しばらく後、
たぶんなくなったのでしょう。

ご飯の器が倒れ、ご飯の少し離れたところに倒れていました。

最後まで。ご飯を食べたかったんだね。

母が包帯を変えてやり、
ガンの自壊の広がりは痛々しく見えたものの、
かつての赤みはなく、肌色に近くなっていました。

彼女の命が尽きたのと一緒に、ガンも死にましたが、
とても悲しい。

埋葬の仕方で、家族の意見が合いません。

やりきれない。